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インタビュー・神谷武史〈前編〉「自分に芸能を教えてくれた地域に恩返しがしたい」

「望郷~ひとりひとりの沖縄へ~」出演者へのインタビュー第1弾は 神谷武史 さんです。前編では琉球芸能を始めるきっかけや、地域への思いなどを伺いました。

- 琉球芸能をはじめたきっかけはなんですか? 

もともとテレビで三線や沖縄芝居が放映されていても食い入って観るような子どもではなかったです。

出身地の八重瀬町志多伯には豊年祭という獅子を祝う行事があって、志多伯の豊年祭は人の法要と同じ一年忌、三年忌、七年忌、十三年忌、二十五年忌、三十三年忌というように33年間で6回しか行われないお祭りです。 それが高校1年のときにあって、組踊の亀千代という若衆役のオファーが来て、組踊のことも何もわからないけど出てみようか、くらいの感じで出演しました。その時は糸満高校で野球をやってて、部活が終わって夜8時くらいから公民館で稽古するんだけど、組踊を指導してるおじいたちがめっちゃ熱心で。いつもゲートボールやってるおじいなんだけど、台本持って教えている姿がかっこよくて、自分もそういうおじいになりたいと思いました。このときには組踊が好きになってました。 本番ではお客さんも3、4名しかいなかったんだけど、一緒に舞台に立つおじいたちが堂々と演じていて。見せるためだけじゃなく、やってる人も楽しむ祭りなんだなと、今となっては思います。

(豊年祭の)練習のときからだけど、終わったあとは甲子園を目指していた球児の自分じゃなくなっていて、踊りがやりたい、芸能がやりたい、という気持ちに変わっていました。

- そこから芸能人生がスタートしたと…

父に芸能をやりたいって言ったら、あれは女がやるものだし、金もかかるだろって猛反対されました。それで野球部をやめて、自分で月謝を払うということで、高校1年から大学2年までの五年間、新聞配達をしながら芸能をやっていました。そういう経験をしたからこそ、嫌なことがあってもやめたくないし、自分に芸能を教えてくれた地域に恩返しがしたいという思いがずっとあります。役場での仕事に挑戦したのも、自分みたいにそういう出会いやチャンスを若い子たちに与えたいと思ったからです。

- 琉球芸能との衝撃的な出会いを与えてくれた豊年祭ですが、それまでの豊年祭でのエピソードがあれば教えてください。

自分の家にあるアルバム見たら2歳から出てるわけ。ちゃんと法被着ておじいと写真撮ってたり、幼稚園のときには棒術もやってたりするんだよね。今みたいな思い入れはないから微かな記憶なんだけど、小学4年生のとき口説囃子っていう特別な役があたって、化粧して楽しかった記憶はある。

芸能を始めるきっかけになった高校一年のときの豊年祭が十三年忌の豊年祭だったんです。その次って二十五年忌だから12年空く。12年後の豊年祭を絶対に盛り上げようっていう思いで後輩たちを集めて志多伯獅子舞棒術保存会を作ったんですよ。それまで保存会とかなかったから、豊年祭のためにみんなで集まって活動しようぜ、って。決まった周期にしかない豊年祭をつなぐための保存会で、獅子舞とか棒術の継承ももちろんだけど、地域のコミュニティをつなぐという意味もあります。

- 決まった年忌で行われるということですが、次の豊年祭はいつですか?

来年が十三年忌なんです。自分が芸能に出会ってちょうど33年、一周した節目の年なんです。豊年祭が芸能に出会わせてくれて、それから33年の間に出会った人たちと一緒に舞台に立てる喜び。33年前には当然いなかった自分の息子も去年の「望郷」で初舞台を経験して、こうやってリレーしていくんだな、形は変わっても気持ちはつながっているんだなと感じる地域です。

- 八重瀬町の特徴や魅力について教えてください。

沖縄本島南部にあります。具志頭村と東風平町で合併してできたのが八重瀬町になりました。沖縄戦のときは住民が最後まで追い詰められた地域です。 隣の南城市には世界遺産の斎場御嶽があったり、糸満市には平和の礎があったり、有名な観光地の間にある通りすがりの町なんです。

隣が祈りの町、平和の町なら八重瀬町は人を育てる町にしよう、ということを自分の合言葉にしてやってきました。どうやって育てるかっていうと、文化とか芸能。

芸能が盛んな地域で34ある字のうち、4つの字が獅子舞を持っていて、10の字が棒術を持っていて、5つの字がエイサーを持っている。なぜかというと昔から農業者の多い地域だったから、豊作祈願とか漁業祈願とか、そういう祈りが芸能に結びついている。そこが自分たちの町の特徴だよね。

「汗水節」って有名な民謡の作詞者は八重瀬出身なんだけど、みんなが疲弊している貧しい時代でも負けるなよっていう思いが込められていると思う。

お知らせ

神谷さんの地元である八重瀬町志多伯の豊年祭。その中心となる獅子舞の獅子頭を新たに製作する様子を取り上げたドキュメンタリー映画「うむい獅子-仲宗根正廣の獅子づくり-」が昨年公開されました。

作品中では獅子頭を製作する過程を映すだけでなく、地域の人々の思いも語られており、沖縄の地域に根付く精神性を垣間見ることのできる映画となっています。

うむい獅子-仲宗根正廣の獅子づくり- 公式サイト

プロフィール

神谷武史(かみやたけふみ) 沖縄県八重瀬町(旧東風平町)出身。
組踊、琉球舞踊、空手の実演家でもありながら、演出も手掛ける。 1999年から2018年まで八重瀬町(旧東風平町)にて役場職員として文化・観光・教育・財政など様々な職務に従事。 2018年から沖縄県立芸術大学沖縄文化コースにて文化芸術の研究をしながら、地域に貢献できる人材育成のため教鞭をふるう。 2022年、兵庫県尼崎市で開催された「望郷〜ひとりひとりの沖縄へ〜」に出演。 

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